葛ノ葉稲荷社
くずのはいなりしゃ
しのだの森の うらみ葛の葉
和泉国(大阪府)信太(しのだ)の葛葉稲荷を勧請した社である。文政3年(1820)には、尾張藩主徳川斎朝(なりとも)が、鷹狩の際、鏡と刀を奉納したと伝わる。
その後、荒廃するも嘉永年間(1848-54)までは地元の医師篠田良庵(りょうあん)が管理していたが、大正3年(1914)より地区の管理となる。江戸時代の書物には、ここを「狐塚」と呼び、宇治城(津島市)の城主である篠田左衛門一族の墓跡である。また、伝説として、この地の野狐が婦女に化けて里人の妻となって一子を産んだ…とあり、安部晴明(あべのせいめい)の出生譚(しゅっせいたん)と似た話が伝わる。
所在地
愛知県あま市篠田稲荷17
時代区分
江戸
データ
句碑「恋しくばたずねきてみよ 和泉なるしのだの森の うらみ葛の葉」
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