元飛行場開拓記念碑 (甚目寺公民館)
もとひこうじょうかいたくきねんひ
幻の飛行場 清洲飛行場を物語る唯一の碑
太平洋戦争中の昭和19年(1944)の秋に完成した陸軍飛行場で、甚目寺・西今宿・石作地区とその周辺に及ぶ広大な農地に「清洲飛行場」は建設された。工事には甚目寺国民学校の児童及び津島中学(現県立津島高校)の生徒までもが動員され、毎日1,000人を超す人員が昼夜を問わず作業を進め、僅か2か月で完成させたという。ここには陸軍飛行第五戦隊が常駐し、中部地区の防空に努めた。ただ、戦争末期、空襲警報が発令されると、戦闘機は飛行場周辺の神社に隠すなど戦力の温存を図った。
昭和22年(1947)から実に19年の歳月をかけ元の農地に戻された。多くの先人たちの苦労と平和を偲ぶ石碑である。
所在地
あま市甚目寺二伴田65 (甚目寺公民館の敷地北西角)
時代区分
昭和
健康ウォーキングコース紹介
コース10 “勇健”健脚コース(見どころ)(PDF 1.6MB)
コース10 “勇健”健脚コース(マップ)(PDF 442.6KB)
関連サイト
甚目寺公民館(あま市公式ウェブサイト内)
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