小笠原 登(人権ふれあいセンター内)
おがさわら のぼる
孤高のハンセン病医師
京都帝国大学を卒業。その生涯をハンセン病患者の診察と治療にささげる。日本では戦後まで、ハンセン病は不治の病で感染力が非常に強いとされ、患者の隔離政策を推進した。これに対し小笠原は「癩(らい)に関する三つの迷信」と題する論文を発表、ハンセン病は治療をすれば治り、感染力が非常に弱いことを主張し、国の政策(終生に及ぶ強制的な隔離等)を批判するも、その当時、隔離政策を推進する医師たちによって封殺された。ただ、彼のハンセン病に対する信念は変わることなく、患者への献身的な治療と、その生活と人権を守ることに尽力した。
所在地
あま市人権ふれあいセンター(あま市西今宿平割二32)内で小笠原登博士の遺品を展示【
【休館日にご注意ください。】
1 日曜日、祝日(祝日が日曜日にあたる場合はその翌日)
2 12月29日~翌年1月3日
データ
1888-1970。甚目寺地区出身。医師、医学博士、真宗大谷派僧侶。
関連サイト
人権ふれあいセンター(あま市公式ウェブサイト内)
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